決死隊とワタシ

1.束の間の出会い

 1998年6月中旬。UG(アンダーグラウンド)系リンク集に登録されたエミュレータ関係のサイトを順に廻っていると、黒の背景に水色の文字という美的センスのかけらも感じられない色使いの、他所とは違う危険な匂い(いや「臭い」か?)を発散しているページに出会った。

 「シンプル」というよりは「粗雑」という表現がぴったりの構成のトップページには、「@リクエストしろ!!100%答えてやる!!」 「A何でも答えてやる!なんでも聞け!!」 「Bタダでくれてやる!だが礼は言え!」といったハイテンションかつ横柄な口調の宣言文が書き殴られていた。

 エミュレータの存在を知って間もない超初心者のワタシは、いかにも「アングラ」なそのページの雰囲気に危険を感じ、「見なかったことにしよう・・・。」とトップページをざっと見ただけで早々に退散した。そしてゴシック体で大書きされていたにも拘わらず、「ファミコン決死隊」というそのサイト名は全くワタシの記憶に残ることはなかった。

 ワタシがエミュレータの存在を知ったのはその一ヶ月ほど前。海賊盤音楽CD、いわゆるブートレグの記事が目当てで手に入れた1冊の本の中でのことだった。期待していた海賊盤CDについての記述はほんの一部で、ほとんどはNIKEやROLEXなどのブランド品やプレミアグッズなどの偽造、すなわち海賊「版」で一儲けした男達の話だったのだが、その数々のエピソードの中にファミコンエミュレータ「パソファミ」の作者、A氏についての記事があった。「儲け話」の一例として簡単に紹介されているに過ぎなかったが、パソコン上でファミコンが遊べる夢のようなソフト、「エミュレータ」の存在を知ったワタシは狂喜した。

 引越しの際に本体が行方不明になって以来、カセットはあるものの遊べない状態が続いていた上、ネットで見かけた「NEWファミコン製造中止」の誤報を鵜呑みにして落胆していたワタシは当然のようにこのエミュレータなるものに飛びついた。しかも、「パソファミ」はシェアウェア(有料ソフト)だが、多数のフリーウェア(無料ソフト)のエミュレータがインターネットからダウンロードできる状況になっているらしい。ワタシは翌日の朝イチでNTTの営業所へ向かい、「テレホーダイ」の契約を済ませた。

 早速ネットを検索してみると、フリーウェアのエミュレータはすぐに見つかった。またゲームソフトにあたるROMイメージ(以下ROM)をアップロードしているサイトもたくさん存在している。しかし、エミュレータ以前にファミコンそのものについての知識が浅いワタシはここで困惑する。多数のROMイメージがアップロードされているページに行っても、タイトルだけではそれがどんなゲームなのか判断できないのだ。未知のタイトルに手を出してハズレ(クソゲー)を引くのはアホらしい。それに多くのページに「自分が(カセットを)持っていないソフトのROMをダウンロードするのは違法です」という注意書きがある。そこでワタシは安全策を取り、とりあえずは自分の所持カセットのROMのコンプリートを目指すことにした。

 コンプリートというと大げさに聞こえるが、ワタシの所持カセット総数は約30本。しかもそのほとんどがいわゆる定番物で、そんなに珍しい物は持っていない。当然アップロードされているサイトは多数あり、着々と見つかっていった。そして残るは「タッグチームプロレスリング」、「じゃじゃ丸忍法帳」、「役満天国」の3本のみとなった。

2.感動の再会

 所持ROMコンプリートを目前にして、ワタシは長い足踏み状態を続けていた。多数のUG系リンク集を利用して捜索してはいたのだが、それでも例の3本は見つからない。そこで、これ以上「広く浅く」探しても無理だと悟ったワタシはより「深く」探すべく、各サイトから貼られたリンク、そのまた先のリンクを辿っていく方法に転換した。そして、1998年8月13日、ワタシは「ファミコン決死隊」と改めて出会うことになる。

 紫色の背景は少々目に厳しいが、明朝体のフォントを使ったトップページは整然とまとまっており、以前のような粗雑な印象は全くない。そもそも前回立ち寄った時は、「隊」と名乗ってはいるものの、管理者(隊長)以外の参加者は一人もいなかった。(笑) (実際ワタシが同一サイトだと気づいたのはそれから約2年後。隊長が保存していた初期のページを見せられた時だ)

 ROMのことを「支援物資」、掲示板を「戦況報告書」と呼ぶなど「決死隊」の名に相応しい軍隊調の硬い言葉が使われ、参加メンバーのHN(ハンドルネーム)には「総帥」「大佐」「軍曹」などの階級名がつけられている。ぱっと見では少々堅苦しい印象を受けるが、あくまでもサイト名に引っ掛けたシャレであり、イメージの統一を図っているだけのことだろう。そして、以前は横柄な口調だけが目立ち、ハッタリとしか思えなかった宣言文は「目標100%撃破!、疑問完全駆除!、無償供給!」とシンプルな形になり、「ファミコン決死隊三ヶ条」として謳われていた。

 まずワタシは「供給中物資」のページへと移動してみた。供給中物資(アップロードされているROM)の本数はそれほど多くなく、残念ながらワタシの探し物は1本もなかったが、他所では見かけたことがないタイトルが並んでいて、質的にはそれまで立ち寄った中では最強の品揃えだった。

 次に「補完済み物資リスト」のページを見てみると、まずたくさんの☆マークが目に入ってきた。補完済みのゲームには隊長が5点満点で評価を下し、その点数を☆の数で表しているのだ。これは所持ソフト以外のゲームの予備知識がない私にとってはたいへんありがたい。未知のゲームに手を出す時に大いに役立つはずだ。そして、その「補完済みリスト」には、ワタシの探し求めていた「タッグチームプロレスリング」の名が記載されているではないか!

 「いやぁ、凄いトコ見つけちゃったよ。」とワタシは満足感に浸っていた。そして、他のコンテンツもチェックしているうちにワタシは一つの発見をする。タイトルの横に(○○軍曹支援)、(××大佐支援)などと表記されているROMがある。どうやらここは「みんなで手分けしてROMを探す」というコンセプトのページのようだ。一人で探すことに限界を感じていたワタシは「これは混ぜてもらうしかない!」と、一瞬の躊躇もなく参加、いや入隊することを決意した。

3.入隊直訴

 入隊を志願するためにトップページに戻ったワタシは、「戦況報告書」へと向かった。そこには「セキュリティーは万全ゆえ、青二才の侵入は不可能である」と明記されている。当時横行していた「掲示板荒らし」への対策が施されているということだろう。「こんなページを運営している人のスキルは凄いなぁ。」とワタシは素直に感動しながら、戦況報告書へのリンクをクリックする。ところがセキュリティが万全のはずの「戦況報告書」は連続書きこみを食らって荒らされ、悲惨な姿となっていた。(笑)

 こんな状態の掲示板に「入隊を志願致します」などと書きこんでも、連続カキコで流されて管理人、いや隊長の目に届くはずがない。トップページには「緊急報告はメル直で」と書いてはあるのだが、当時フリーのメールアドレスなど知らなかったワタシにとって、見ず知らずの人物にメールを送ることはためらわれ、結局その日は結論が出せないまま回線を切った。

 翌日ネットに接続したワタシは真っ先に「お気に入り」に登録しておいた「ファミコン決死隊」へと向かい、「戦況報告書」をチェックした。すると今度は「連続カキコのトリックわかった?」「連続カキコのトリックわかった?」「連続カキコのトリックわかった?」(以下略)という同内容の書きこみが延々と続いていて、相変わらず荒れ放題である。掲示板の状況が落ち着くまで入隊を待つことも考えたが、この手のページに突然の移転や消滅はつきもの。待っているうちに行方がわからなくなってしまうかもしれない。ワタシは意を決して入隊志願のメールを(軍隊調の言葉で)書き、隊長宛てに送信した。

 そのまた翌日、ネットに接続した私は、はやる気持ちを押さえつつメールチェックをしたが、隊長からの返事はまだ届いていない。「まぁ、昨日の今日だからな」と気を取りなおして、「お気に入り」の「ファミコン決死隊」をクリックする。しかし・・・、一昨日、久しぶりの再会を果たしたばかりの決死隊本拠地はきれいさっぱり削除されていた。

 ワタシは途方にくれた。UGリンク集から行ったページであれば、復活後同じリンク集に再度登録されるかもしれないが、決死隊との再会は全くの偶然であり、どこのページから飛んだのか覚えていない。探していた「タッグチームプロレスリング」もまだ手に入れていないし、残りの2本は複数のメンバーで手分けして探しても見つかっていない代物だ。ワタシ一人の力ではどうにもならないだろう。

 ワタシはすっかりヘコんでしまい、しばらくはネットどころかパソコンに触れることすらなかった。しかし1週間ほど傷心の日々を過ごした後、久しぶりにメールチェックをしてみると、ワタシのメールボックスには「ファミコン決死隊」の移転先URL(アドレス)を通知するメールが届いていた。(送信者名が「隊長」ではなく、思いっきり本名だったので最初は「チェーンメール」か何かだと思ったが…)

4.第1期ファミコン決死隊

 勇気を出して入隊志願メールを出した甲斐があった。ワタシはめでたく「ファミコン決死隊」に入隊を許されたのだ。トップページにある隊員名簿にワタシのHNも記載された。一番下の二等兵の部分で非常に小さい文字ではあったが、掲示板以外のページ上に自分のHNが表示されるのは初めてだったので、ワタシにとってはちょっぴり感動的な出来事であった。

 さて、所持カセットのコンプリートを目指しているワタシとしては、すでに補完済みの「タッグチームプロレスリング」をすぐにでもリクエストしたいところだ。しかし、エミュレータの世界は「ギブ&テイク」が基本であり、「くれくれ君」が嫌われることはすでに学習していたので、リクエストはもう少し時間が経ってからすることにした。焦ることはない、現在の本拠地が陥落したとしても、また移転先URLは通知されてくるのだ。

 それからは「補完済み物資」のリストを随時確認しながら、ファミコンエミュレータ系のページを徘徊する日々が始まった。その時点でネット上に出回っていたROMの全てが補完されていた訳ではなかったので、程なく数本の未補完ROMを発見、それを隊長に進呈した後、晴れて「タッグチームプロレスリング」をリクエストすることが出来た。

 遂に「所持カセコンプ計画」の達成まであと2本となった。ワタシのモチベーションはさらに上がり、以前にも増して精力的に国内外問わず捜索を続けるが、それでも「じゃじゃ丸忍法帳」と「役満天国」の2本は見つからなかった。しかし、その捜索活動の副産物として決死隊の未補完物資の発見が続き、おかげで二等兵でスタートしたワタシも一等兵、伍長、軍曹と着実に昇進し、隊員名簿の文字も徐々に大きくなっていった。

 昇進していくにつれてワタシは「ファミコン決死隊」にどっぷりとハマっていく。ROMサイトとしての利用価値があるからではなく、それ以外の多様なコンテンツの面白さ、内容の充実振りが他所とは比べ物にならなかったからだ。その最大の要因は厳めしい肩書きとは正反対の「隊長」の気さくなキャラクター。文章の端々に絶妙なギャグがちりばめられているので、いわゆるクソゲーのレビューでさえも単なるこき下ろし、罵詈雑言に終わらず、「ちょっとやってみようかな」という気にさせられてしまうような愛情に溢れるものとなっていた。

 ワタシが特に好きだったのは隊長の初心者時代の体験を綴った「隊長日記」。エミュレータを正常に動作させるまでの悪戦苦闘ぶりを赤裸々に告白したこの「日記」に、同じ道を辿ってきたワタシは多いに共感し、(笑いすぎて)涙を流しながら読んだものだ。この「隊長日記」は隊員、客員問わず絶大なる人気を誇り、全五十話にわたる長期連載となった。

 もちろんおチャラけた部分だけが決死隊の魅力ではない。当時のエミュレータはまだまだ発展途上で、Aというエミュレータでは動作しないROMが、Bでは正常に動作するということがよくあった。そのためゲームに応じた「本体の使い分け」がどうしても必要だったのだが、決死隊では補完済みROMの動作状況の確認が徹底していて「推奨エミュ」が明記されていた。(どのエミュレータを使っても不完全な物は「達成率〜%」という表記)

 また、先輩隊員諸氏による「戦況報告書」への書きこみにも貴重な情報が多く、一見バグがあるように思われるROMでもエミュレータ本体の設定を変えたり、ヘッダー部分の情報を修正したりすれば、正常動作する物もあることなども勉強させてもらった。結局、この第1期ファミコン決死隊からワタシが入手したROMは「タッグチームプロレスリング」の1本だけだったので、ROMサイトというよりは(笑えるネタ満載の)ファミコン情報サイトとして活用させてもらった感が強い。

5.冬の時代

 入隊後およそ3ヶ月の間に「ファミコン決死隊」は何度かページ削除の憂き目に遭ったが、その都度1週間も経たないうちに移転先URL通知のメールが届いた。そして、「本拠地」は何事もなかったように以前と同じ状態に復旧されていた。アカウントが剥奪され、ページが削除されるなんてことは本来一大事であるはずだが、何度も繰り返されているうちに感覚が麻痺し、隊長も隊員もすっかり慣れっこになっていた。

 ところが、1998年11月の本拠地陥落を最後に移転先通知メールは届かなくなる。「いつもより時間はかかっているが、いずれ復活するだろう。」とワタシは楽観的に考えていたが、いつまでたっても隊長からのメールは届かない。不安になってワタシの方から「陣中見舞」のメールを送ったが、何の反応も返ってこなかった。結局それから約半年、隊長からの連絡は途絶えたままとなり、ワタシも「このまま終わるのかな・・・」と次第に諦めムードになっていった。しかし、結果的にはこの充電期間が「ファミコン決死隊」をより大きく成長させることとなる。

 この充電期間が始まって間もない頃、ワタシはあるROMサイトの管理人氏に数十本のROMを提供した。その後、彼のサイトは「交換サイト」に変身したのだが、こちらが提供した(大したことない)ROMの見返りとして、通常のROMサイトでは到底入手不可能なレアなROMをワタシに提供してくれるようになった。もちろんワタシとしても貴重品をもらうだけでは申し訳ないので、彼が提供してくれたROMを元手に他所の交換サイトで新たなROMを入手し、彼に「お返し」をしていった。

 この「二人三脚」の効果は絶大で、程なくして「じゃじゃ丸忍法帳」を入手することができ、いよいよリーチがかかった。そして1999年春、最後に残されていた「役満天国」を入手して、私の「所持カセットコンプ計画」は遂に達成された。たった30本だったにもかかわらず、1年弱もの長い時間がかかったが、その「副産物」として1000本を越えるファミコンROMイメージがワタシの手元に集まっていた。

6.衝撃の復活劇

 隊長からの半年ぶりのメールが届いたのは、ワタシが所持ROMコンプを成し遂げた直後のこと。詳しい事情はわからないが、この間エミュ界どころかネットからも離れていたらしい。メールの内容はサイトの本格的復活に先駆けて、隊員間の情報交換のため「戦況報告書」のみを復活させるとのことだった。早速「戦況報告書」に足を運んでみると、復活を歓迎する(旧)隊員たちの書きこみですでに賑わっており、「ファミコン決死隊」、そして「隊長」の求心力は半年の空白期間を経ても全く衰えてはいなかった。

 この時期、ファミコンエミュレータの世界は全体としては停滞気味だった。「吸出し人」からはコンスタントにレアなROMが流出してはいたが、大手交換サイトの管理人たちの間で交換が完結してしまうため、ワタシのような「お客さん」が入りこむ余地はほとんど無くなっていたのだ。そして大多数を占める一般ユーザーは交換サイトの「新入荷リスト」が更新されていくのを指を咥えて眺めているしかなかった。しかし、「華々しい復活」を目論んでいた隊長にとっては、この状況はかえって好都合であった。

 空白期間中に出まわったROMのほとんどは「○○が出まわりましたよ。」とか「××の正常品持ってます。」といって、各隊員から隊長の元へ集まってきていたのだが、彼はサイト復活に際して、それらの全てを「出し惜しみ」することなく放出することを決断する。そして、「消される心配がない場所」を確保したと連絡があったのち、1999年5月、「ファミコン決死隊」は復活を果たす。(はずだったが、結局2回の即消滅事件を経て、本格的に復活したのは6月に入ってから)

7.予期せぬ展開

 交換サイトでしか目にすることが無かったレアROMの大盤振る舞いに一般ユーザーは唖然とし、そして狂喜乱舞した。トップページのカウンターはとんでもない勢いで回り、他所のサイトのように「強制」などしていないにも拘わらず、「戦況報告書」はお礼の書き込みで溢れた。身内だけで盛り上がる交換サイトを横目で見ながら、羨ましいと思いつつも鬱憤がたまっていた彼らは「交換サイト泣かせの暴発サイト」の登場を諸手を挙げて歓迎した。

 ところが、この「復活祭」を最後にワタシたち初期からの隊員の物資提供はほとんど不可能となる。後に残ったのはレアROMの中でも「超」や「激」という文字が頭に付く物ばかりだったからだ。実際、持ち物の全てを一挙放出して「一文無し」になってしまった隊長は、その後の展開に一抹の不安もあったと思う。しかし、この「復活祭」で「出し惜しみ」しなかったことが功を奏し、新たな協力者が続々と現れ始め、「ファミコン決死隊」の怒涛の快進撃は続いていく。

 まず最初に協力を申し出てくれたのは、ワタシと同じような、交換サイトの「お客さん」たちだった。彼らは決死隊からROMを入手した「お返し」にと、未補完物資を提供してくれるようになる。彼らのメインの活動場所である交換サイトとは正反対の「出し惜しみ」のない姿勢に大いに共感をしてくれたようだ。

 次に反応を示したのはその交換サイトの管理人たち。決死隊からDLしたROMを「新入荷」として誇らしげにリストに追加しているところもあったし、中には捨て台詞をのこして地下に潜ったサイトもあったが、「レアROMの入手方法が他にないため、しかたなく交換サイトをやっていた」という人たちが、「賞味期限」を過ぎた物を提供してくれるようになった。念の為書いておくと、これは先に挙げた「出し惜しみ」ではなく、次のROMを入荷するための「戦略」であり、彼らは新入荷品としての商品価値を失った物から「順に」提供を続けてくれた。

 そして、1999年秋には「吸出し人」の中からも協力者が現れ、ここに「自社生産ライン(笑)」が確立した。一般ユーザー、ROMサイト、交換サイト、そして吸出し人というファミコンエミュに関わるほぼ全ての「立場」の人間が参入した「ファミコン決死隊」にもはや死角は無く、2000年2月13日、ファミコン全ソフト1242本のコンプリートは達成され、「ファミコン決死隊」はその役割を終えた。